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赤ノ峰の非日常

非日常的なゲイの日常

『ル・アーブルの靴磨き』深読みしてみた

お題「最近見た映画」

 

意外と好きな天気は雨なので、梅雨が楽しみです。

嫌いな季節は夏なので、梅雨明けは大嫌いです。

みんな〜赤ノ峰だよ〜〜(NHK教育風)

 

最近見た映画、という事でこちら

ちなみにこれは紹介ではなく考察です。

ネタバレ注意。

 

 「ル・アーブルの靴磨き」というフランス映画。

何かこう、淡々していて、ある意味人間味がないというか、でも人間の温かみを描く、人間が演じる人形劇のようでした。

登場人物の表情も動作もセリフも少なく、静かな映画です。

個人的にはそれが結構好き系でした。

 

気になったのはラスト。

余命宣告されるほど病気が重かった主人公の妻が、突然回復します。

もちろん現実的ではありません。

寓話的な、事実と別の象徴的な意味を持った出来事なのでしょう。

このラストに関してネットの色々な方のレビューを読みましたが、ハッピーエンドと捉えられていました。

まあ間違いではないと思います。

ですが僕は、初めてこれをみた時、別な風に捉えました。

 

ここからは赤ノ峰というただの物好きな人間の深読みとしてお読み下さい。

 

ラスト、病院に行き、妻のいる病室に入ると、ベッドに妻はいません。

開けてない小包もあります。

これが、例の黄色い服だったのでは、と。

また、ナースが病室に迎えに来て、妻の担当医の元へ主人公を連れて行きます。

そのときのナースの表情は、とても奇跡的に全快した患者の夫に対する表情ではありません。

そして担当医の部屋に着く。

担当医は「本当に予想と真逆の事が起きた」「中国には全快した例があるが…」などと言います。(字幕で観ました)

ここで注意すべきは、妻と担当医は、「夫にはすぐ治る軽い病だと伝える」と以前に約束しています。

ということは、担当医は主人公(夫)に対して「すぐ治る病気」だと言っていたはずです。

そしてラスト、「予想と真逆の事が起きた」と言います。

真逆ということは、主人公(夫)にとっては妻は亡くなってしまった、と言う事になりはしないのでしょうか。

担当医のこれらのセリフは、主人公についた嘘を誤魔化すセリフとも解釈できます。

担当医の部屋で妻は開封されていなかったはずの黄色い服を着て立って、「治ったわ。病気が吹っ飛んだの」と無表情で言います。

 

簡単に言うと、このラストの妻、これは実在してないと僕は思ったのです。

ただの深読みだと思いますけど。

「奇跡が起こるかもしれないよ」

「近所じゃ起きてないわね」

これはいいセリフですね。

誰もが奇跡を信じない中、主人公は取り憑かれたように黒人の入国者を助けます。何故か周りも協力しだします。

黒人の少年を無事イギリスへ送ることに成功した後病院に向かい、先ほど述べたラストシーンに繋がります。

主人公の幸福感による幻覚的なものなのか、よく分かりませんが、僕は妻は亡くなったと思います。

思う、というかそうとも解釈出来るという感じです。

可能性はなくは無い、この仮説を否定できる根拠が見当たらない、というだけの話です。

 

どの道素敵な映画です。

なかなかシュールというか、とにかく静かな映画です。

その中で描かれる、役職や名誉を超えた人間の優しさは味わい深く、奥ゆかしいです。

そしてフランスパンが食べたくなりました。

ぐふふ。

 

 

ぐんない。